弘前城本丸発掘調査

石垣修理と同時進行で行われている、弘前城の本丸発掘調査で
明治〜大正期に行われていた石垣の修理範囲が
記録から推測される部分より、広範囲に修理されていたことが分かりました。
弘前市が保管する絵図「明治29年4月8日 本丸天守閣石垣崩壊の図」によると
明治〜大正期の石垣の崩壊範囲は十間半(19.09m)、亀裂は六間(10.91m)に
わたるとの記録があるため、当初 石垣修理は崩壊部分(約19m)のみとみられていましたが、
今回の発掘調査で、江戸期の盛り土が亀裂部分(約11m)をあわせた
約30mの範囲まで削り取られていることが分かり、
修理範囲の拡大を裏付ける結果となりました。
修理範囲の境界にあたる約30mの地点の盛り土からは、工事が行われたことを示す
近代以降のガラス片も見つかったそうです。

今年の発掘調査は11月末まで行われ、2015年の天守曳屋後には、
天守真下の天守台の発掘調査に着手します。